2015年5月23日土曜日

Have A Nice Dayのミーティング

こんばんは、シンディーです。

Have A Nice Dayのミーティングは大体、夜歩きながらやります。

椅子に座って資料を広げて画面に向かってやるミーティングも良いのですが
目的地を決めずに感覚で歩きながら話を広げてみる、というのもなかなか良いものです

メモをせずに相手の話を覚えておくこと
資料に頼らず言いたいことを伝わるよう表現すること
検索に頼らずに思考の渦に飛び込むこと
意見ではなく歩幅を合わせることで見えること
間合いの美
ハプニングの快楽
環境音のリズム

足を前に進めながら
未来の話をする、というのは
なかなか良いものです



先日のミーティング
皇居通過中


Have A Nice Day
シンディー

2015年5月20日水曜日

優しい気持ちのおすそ分け

こんにちは!Have A Nice Dayの寅貝真知子です。


ひと味について書こうとしたら、
今一緒に活動をしているヒロさんとシンディーが私の頭の中に出てきます。

私はひと味の活動のことを、こう考えています。二人の想いに応えたい。
二人が人を想う優しい気持ちに触れると、いつもそう思います。


二人が誰かを想ったり、私を見る時の優しい顔を見ると、何とも言えない泣きそうな気持ちになります。私は、一生懸命な人、想いを持って生きる人、そういう人たちが大好きで、関わりたくなったり、なんだか泣きそうになったりします。この二人に出会った人は、きっとみんな優しい気持ちになれると思います。


私が迷っているとき、二人はいつも助けてくれます。この前なんて私が自分自身のことで今どうしていいかわからないという気持ちを、二人に話していると、二人がこんな本をくれました。マーカス バッキンガム「さあ、才能に目覚めよう!」本当はもっと別のことを話さなければならない時間だったのに、彼らは彼らの時間を私にくれたのです。


この本のおかげで、私は少しだけ今自分がやろうとしていることが、このまま続けて大丈夫なんだと思えてきました。自分では普通だと思っていることが、ちょっとした特徴なんだよ、それでいいんだよ!と背中を押してもらった気持ちになっています。


自分に迷ったら、お勧めの1冊、
二人が私にしてくれた優しい気持ちのおすそ分けです。


Have A Nice Day
寅貝真知子


Have A Nice Day Facebook page


https://www.facebook.com/haveanicedaypjt

2015年5月6日水曜日

私が「ひと味」を始めたかった理由(やや長いョ)

あるいっとき、アジアにあるイケてる宿をまとめて漂っていた時があった
会社を辞め、そのための時間をとった

漂っていた、という表現が他にないほど適切で
翌日行く宿は、今日泊まった宿で、女将さんなりスタッフさんなりに
「どこかいい宿ないですかね?」
と聞いてそこに泊まっていた
いい宿で働く人はいい宿を知っている、という法則を私は信じていたのだ

要所要所、絶対に回りたいところは決めていたが、いつ家に帰るとも決めずに
いい人がいいと言うところは絶対にいい
の確信のもと数週間を過ごしていた

幸いなのは、私の生まれ持った勘の良さで
信じているとほとんどのことがその通りになる
泊まった宿はもれなく素敵だったし(どのように素敵かはそれぞれだったのもまた良し)
そこで出会った人たちも本当に素敵だった
それは、働く人だけでなく、お客さんたちも

釜山から船で福岡に入り、じわじわと北上している途中
山口に立ち寄った。
そこで勧められた宿を求め、広島に向かっていた。

宿は広島の尾道(おのみち)というところにある

縁もゆかりもない土地なのに
昨日仲良くなった人が教えてくれた土地
というだけで、なぜか自分のための土地という感覚に陥るのは
いつも不思議に思う
おこがましいこと極まりないのだが

知らない道を、知っているように歩いていた

駅からふらふらしていると商店街を発見

そうだ、昨日オススメされたパン屋は確か商店街の中にあると言っていた
私に見つけられるためにそこに口を開けていたんだよね、と
思わずアーケードに向かって顔がほころぶ

パン屋航路

数十メートル離れていても「この辺にパン屋があるな」ということが分かるほど
目の奥まで届く香ばしさが広がっていた

商店街はところどころシャッターが下りている
しかし、このパン屋は人がぎゅうぎゅうだ

しばらく外から様子を眺め、ガラス戸越しに密度が減るのを待った
扉から出てくる人たちはなんとなく笑みを浮かべている
パンの威力を知る

チーズのパンとレーズンのパンを買うと
「お気をつけて」と、私の背負う巨大なバックパックを見つけた店員さんが
にっこりと送り出してくれた

海辺で食べよう
徒歩5分もしないところにある

そう思って歩き出した時である

左手前方に何の気なしに貼られていた、しわしわのお知らせが
どうしても私の目の中に入っていた



「60年間ありがとうございました」



半分閉まったシャッターにそれは貼られていた
何屋さんかも分からない
いつ閉まったのかもわからない

まったく目立った様子ではないのに
なぜかその貼り紙が一生懸命私の視界に入ろうとしてきた

60年間、、、、
60年間、、、、

もう超高速の妄想は止まらないでいた

60年間どんな様子だったのだろう
なぜ閉めることになったんだろう
60年ってことは1代ではないはず、何代か続いたんだろう
どんな商売だったんだろう
創業者はどういう思いだったんだろう
継いだ人はどういう思いだったんだろう
この商店街でどういうポジションだったんだろう
大変な思いをされたのかな
閉めると決めた時はどんな決意だったんだろう
辛い思いもしたんだろうな
みんなに愛されてたんだろうな
近所の子供とかがふらりと立ち寄ったりしてたんだろうな
奥様方が昨日の出来事を話しに立ち寄ったりしたんだろうな
いろんな人がこの店で交流してたんだろうな
そこで新しい出会いも別れもあったんだろうな
時には店主が喧嘩の仲直りを手伝ったかもしれない
愚痴を一生懸命聞いてあげてたのかもしれない
お祭りの時はたくさん手を貸したんだろうな
店主は粋だから人気者だったんだろうな
困った時はあの人に聞けって言われてたのかもしれないな
憩いの場だったのかもな
何人もの人がこの店に助けられたんだろうな
住んでる人も、そうじゃない人も
いろんな人の記憶に残ってるんだろうな
形は無くなってもずっと残ってるんだろうな
残っててほしいな、、、

見知らぬ土地で60年という長い間続いた
見知らぬ商店の歴史のことが
頭を一気に埋め尽くした

60年も続いたことを辞めるなんて
どれだけ大きな決意だったんだろう
商店街の人や、地域の人や、訪れた人に
有形無形で多くのことを残してきたんだろう
ちゃんとみんなから賞賛されたかな
今までありがとうって言われたかな
寂しくなるねって名残惜しまれたかな

その時、半分閉まったシャッターの奥に、
背中の丸まったおばあちゃんがゆっくりと店内の片付けをしている姿が見えた
数十年を背負ってきたであろうその背中が妙に寂しく、
そしてほんのり輝いているように見えた


その瞬間私の涙腺は決壊

「60年間ありがとうございました」

の、しわしわの貼り紙の奥に隠れるたくさんのできごとが洪水のように押し寄せて
涙が止まらなくなった
勝手に想像していただけなのに
どうしても止まらなかった

半開きのシャッターの前に立ち尽くしたまま
ぼろぼろ出る涙を拭う暇もなく
おばあの背中を見ていた

何分泣いたかわからない
左手のチーズパンのにおいで我に返った

>>>

世の中には賞賛されずとも
取り上げられずとも
有名でなくとも
すごい人がたくさんいる

地道に丁寧に、自分のやることを着々と重ねている人がたくさんいる
やり遂げた人もたくさんいる
やり遂げなかったけどその影響を周囲に残した人もいる
知らないところで、見えないところで、
ちゃんと輝いている人がいる

目立っている人や
名を馳せている人や
前に出てくる人ばかりに気をとられがちで

そうではないけれど、素敵な方を見過ごしてはいないか

目立っている人や
名を馳せている人や
前に出てくる人が「善い」と刷り込まれていやしないか
(私はそれまでそうだった)

世に知られていない素敵な方にどんどん会いたい
(特におじい、おばあ)
話を聞いてみたい
歩んできた道を教えてほしい
作ってきた歴史を教えて欲しい
そのことが、私以外の誰かのためになればもっといい

感情を揺さぶられすぎて
声をかけることすら忘れてしまったあの尾道のおばあとの出会いで
世の中にいる実はすごい人、スーパーじいちゃん、ウルトラばーちゃんに会いに行きたい
という思いが一気に高まった

それが今日の「ひと味」に繋がっている

私のこのめちゃくちゃな思いに賛同してくれた2人のメンバーと、
一緒になって素敵な人の話を聞いて
一緒になって記事を作れていることは
この上ない幸せなのです

どんな人でも、
誰かにとってはスーパーで
誰かにとってはウルトラである

いつか、尾道のあの店にもう一度戻って
あのおばあを取材できる日を心待ちにして


Have A Nice Day
シンディー